卓球のオールドファン(60歳以上かな?)ならご記憶があるかも知れません。かつてベトナムにはマイ ヴァン フォアという名選手がいました。その後ベトナムからは世界で活躍する選手は出ていないように思います。
さて、このマイ ヴァン フォア選手をどう評価しましょうか。
映画「ボディガード」(1992年)でフランク(ケビン・コスナー演じる腕利きボディガード)が、殺人予告されている超人気歌手のレイチェル(ホイットニー・ヒューストン)を実家に匿う時の父親の科白「あんたのことは知らないが、息子を雇うほどだ。相当売れているんだね。」に倣ってやってみることにしましょうか。
今でこそ卓球と言えば中国のお家芸のようになっていますが、日本が初参加した1952年の世界卓球選手権(インド、ボンベイ)では、女子団体、男子シングルス、男女ダブルスの4タイトル(7種目中)を日本が獲得しました。それまではヨーロッパ勢が独占していたものをです。もっとも第二次世界大戦後、敗戦国日本の参加が許されていなかったという事情はありますが。
そして翌年の世界選手権はルーマニア、ブカレストでの開催です。が、渡航許可が下りず参加断念の憂き目をみます。1954年はロンドン大会。日本のスポーツ選手が戦後初めてヨーロッパで開かれる世界大会の舞台となるのでした。ここで日本は、男女団体と男子シングルスの3冠となるのでした。
このように世界卓球に登場した日本が次々にタイトルを獲得しているさなかの1953年9月両国において第2回アジア選手権が開催されたのでした。この大会の男子シングルスで優勝したのがベトナムのマイ ヴァン フォア選手でした。
どうです、おわかりですか?
世界卓球連盟の理念に国旗と国歌を使用しないというものがあります。オリンピックはじめ国家主義の中稀有な理念といえましょう。
そういえば、1971年の名古屋での世界卓球選手権後、アメリカと中国の交流が実現したいわゆる「ピンポン外交」というものもありましたね。当時卓球一直線であった私はなぜか誇らしく思っておりました。このピンポン外交の背景に故荻村伊知朗氏やキッシンジャー補佐官(アメリカ)が目まぐるしく活動していたり、アメリカがベトナム戦争から名誉ある撤退の道を中国を介して探ったことなどがその後判明しました。 |