戦後沖縄に戻った朝栄は運送業を営み、妻の幸子を得て、家も建て、蓄えもそこそこになったところで、運送業を事故で足を痛めた後に止めて模型品店開く。アマ無線も始めることとなる。妻の幸子は沖縄すばの店を開いた。
そして半年後に那覇の税関でまたもやばったり安南さんに出会った。近いうちに会う約束をして別れた。その2週間後、安南さんは店にやってきた。沖縄すばをご馳走した。
安南さんはお返しにと那覇の方のすばをご馳走したいと、電話してきた。ご馳走になった後、安南さんから思いがけないお願いをされた。スパイをしてくれ、と。
安南さんは言う。
今、ベトナム全体がサイパンのようになろうとしている。爆撃と機銃掃射と艦砲射撃にさらされて逃げまどった私たちのあの思いを、世界のどこであれ、自分とは何の縁もない人たちであれ、あの恐怖をまた味わう者がいる。
朝栄は必死で考え、考えられる限り考え、悩んだ。
しかし、結局、サイパンで見た死体の数々がためらう私の背中を押しました。
私はずっと死者たちと共に生きてきた。その死者たちがそれをやれと言う。
フリーダ=ジェインの恋人パトリックはインポの上、B−52の機長として致命的な恐怖やノイローゼ状態。必死になってフリーダ=ジェインはパトリックを支える。その一方でスパイを引き受けている。その心理はいかなるものか。
情報をアナンさんに渡すのは軍の仲間たちへの裏切りだ。それは間違いない。それは苦しいとあたしは思う。みんなが一緒になってやっている大きな仕事、その一部を担っているというのはいい気持。忠誠心というのはそういうものだ。
それでもあたしはやっぱりBUFF(B−52のこと)の鼻をあかしてやりたいと思っている。あのでかい飛行機に無駄足をさせてやりたい。あたしの方が強いと思い知らせてやりたい。ママの考えと似ているかもしれないけれど、アメリカよりアジアの方が強いと思わせてやりたい。
フリーダ=ジェインはガーデンボーイの手配を安南さんに依頼する。フリーダ=ジェインが持ち出した機密を安南さんに手渡す役目だ。安南さんは朝栄に依頼し、朝栄はタカを指名する。
タカは基地周辺で活躍するロックバンド、「ジラー&サンラー」のドラムスだ。ベッキーと家をシェアするフリーダ=ジェインは庭の世話係のタカを見て驚く。だってフリーダ=ジェインが知っている「ジラー&サンラー」のメンバーだったから。ベッキーは知らない。タカの真の役割も知らない。それでいい。
だが、タカにも事情があった。姉民子の手伝いだ。脱走兵の支援だった。このことは朝栄も知らない。
相変わらずインポのままのパトリックはいよいよアル中状態に。だからフリーダ=ジェインは勤務後にはいつもパトリックを自宅に連れて行き、アルコールを控えさせ、食事をさせ、話をしてやる。そうまるで治療のように。
あんな風にでもパトリックを愛していながら、どうしてあたしはスパイになれたんだろう。
ママの思想に共感したから?フィリピンの自立?東南アジアへの連帯?それはあたしには関係ない。
市街戦に巻き込まれて、どっちから砲弾が飛んでくるか、どの空から爆弾が降ってくるか、それもわからないままに逃げまどう自分が、崩壊するイントラムロスを見ていた幼い自分が、今のハノイの誰かと重なってしまう。行ったこともない町なのに、その街路で怯えてすくんで泣いている4歳の女の子の姿が見える。パトリックが運ぶ爆弾がその子の頭に落ちないよう、あたしはちょっとしたインチキをする。それができる立場にいるからそれをする。
ハノイの4歳の少女のために。
パトリックは模型品店に入り浸っていた。模型のパイパー・コマンチを朝栄から借りて操縦した。うまくいった。ハノイへの爆撃もほぼ最終局面であった。最後は核攻撃という噂に怯えていたパトリックはようやく正常化しつつあった。そして、インポからも脱した。
フリーダ=ジェインは、ある日の朝、爆発音を聞いた。早朝のことだ。
パトリックが離陸に失敗した。ハノイに落とすはずの爆弾を抱いて。フリーダ=ジェインはその炎を、火の海を目前に立ちつくしていた。あの中にパトリックがいる。
見ているうちに、その炎の全部がパトリックの魂であるような気がしてきた。どうしてそんなことを思ったのかわからないけれど、そこに立って熱さを顔や手の甲に感じながら、パトリックが炎になって天に昇っていくのを見ていると思った。
炎になってしまった男はもう抱いても抱けない。手で触れない。ああやって、あんな風に燃えながら、炎になって彼が天に昇っていく。
パトリックの飛行機がそのまま地上を進むと滑走路の柵を突き破り、国道を越えてその先の原野まで行ったことだろう。その先にはチバナ弾薬集積所で核弾頭がある。パトリックは強引に機種を左に向けて修理工場にぶつけて止めた。搭載していた爆弾が次々に爆発したのだ。
パトリックの葬儀でそうした英雄的行為に勲章が与えられた。
が、朝栄は信じない。軍というものはそうした話を作るもんだ、と。タカはパトリックが英雄として死んだことを信じたいと思った。
大阪万博に出演した後、沖縄に帰ってきたタカは、ある晩、騒がしくなった那覇の街に出た。暴動のようだ。アメリカ軍籍の車両が燃やされている。1台、そしてまた1台。もうどうにも止められない。移動するタカは、電柱の下にへたりこむ女のシルエットを見た。フリーダ=ジェインだった。久しぶりに再会したタカは、彼女が今日の炎をパトリックのあの事故として見てしまったことを察した。彼女の家まで送り届けた。そして、一緒に飲んだ。
そして、二人はあのスパイ活動をふりかえった。
よくも誰も見つからずに済んだと笑った。
一人が捕まっていればたぶんみんな捕まっただろう。
あれは冒険の夏だったんだ。
フリーダ=ジェインは言った。
軍にみっともないことをさせてやりたかった。こっそり笑いたかった。
わたしはもちろんパトリックには言わなかったけど、爆弾が見当違いなところにおちるのはあの人にとってもいいことだと信じていたわ。そう信じていた。
1975年のテレビはサイゴン陥落を伝えていた。朝栄はそれを見ながら思った。
ようやく戦争が終わった。南北どちらの側も今からは日夜脅えて暮らすことはない。
戦争は終わった。沖縄は島の半分が基地というところです。その基地がずっと臨戦態勢で、だから周囲にいる私たちもその空気を吸わされ、それに酔っていた。
戦争は終わった。この時こそ、サイゴンのアメリカ大使館の屋上から離陸するヘリを見ながら、私はしみじみそう思いました。
振り返ってみれば、私もまたこの戦争に参加したのだった。
これは私の戦争でもあった。
あの夏のあの時期だけ、私は参戦した。私はベトナム側の兵士の一人だった。遠くに置かれた見えない兵士だった。
私たちは四人だけの分隊でした。指揮官は安南さんで、フリーダが情報を集め、タカが運び、私が送る。七年近くたった今になって冷静に考えてみると、ずいぶん危ないことをしたと思います。
私は安南さんによって招集された兵士であり、タカは私に招集された。
いちばん被弾の可能性が高い危険な戦場にいたのは彼女でした。
そのフリーダ=ジェインと初めて会ったのがその4年前の1971年だった。タカの恋人として現れたフリーダ=ジェインとパトリックが朝栄の店の常連だったこととが奇遇なことだった。
朝栄は、その後安南さんと会った。
フリーダ=ジェインが一人でやってきた。タカの子を妊娠しているという。そして、フィリピンへ帰るという。タカは沖縄に残るとのこと。が、その後は顔を見せに来ない。
以上で池澤夏樹「カデナ」のメモを終える。
1953年生まれの私にとっては、1968年の記憶とは何だろうか。メキシコオリンピック、他には?うーん、思い出せない。ベトナム戦争の記憶は単なる知識レベルを超えない、他人事だった、と思う。そんな私にとっては、安南さんには到底なり得ない。じゃあ、朝栄か、フリーダ=ジェインも無理、となるとタカの役割か?いや、それもない、だろう。要するにまったく「寝た子」だったのだ。
ところで、池澤夏樹は「終わりと始まり」を朝日新聞夕刊上で月1連載している。2009年12月5日付では、「普天間移転問題の打開案」を書いた。
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