まずは、「美しい昔」という歌の歌詞からどうぞ。
Diễm
Xưa 美しい昔
Mưa
vẫn
mưa
bay trên tầng tháp cổ
雨降り続く
霧雨 上に 層 塔 古い (語意訳)
赤い地の果てに (1番の歌詞)
来る日も来る日も (2番の歌詞)
霧雨が古い塔を濡らしている (翻訳)
※ベトナム語以下語意訳、1番の歌詞、2番の歌詞、翻訳の順
Dài tay em mấy
thuở
mắt
xanh xao
長い
手 君 稀にみる 目 青ざめた
あなたの知らない
雨は降り続く
君の長い手
とても澄んだ瞳
Nghe lá thu mưa reo mòn gót nhỏ
聞く
葉 秋 雨 打つ すり減る 踵 小さな
愛があることを
お寺の屋根にも
秋の葉を打つ雨音を耳にしながら
小さな靴はすり減っていく
Đường
dài hun hút cho mắt thêm sâu
長い道のり
煙る ため 目 さらに 深い
教えたのは誰?
果てしない道にも
沈んだ瞳に
長い道のりが煙る
Mưa
vẫn
hay mưa
trên hàng lá nhỏ
雨降り続く
雨 上に 列 葉 小さな
かぜのたよりなの
青空待たずに
雨は小さな木の葉に降り続く
Buổi
chiều
ngồi
ngóng những
chuyến
mưa
qua
夕暮れ
座る 待つ 複数 回 雨 通り過ぎる
人のうわさなの
花はしおれて
夕暮れはいつも
雨が通り過ぎるのを待つ
Trên bước
chân em âm thầm lá đổ
上に
足跡 君 静かな 葉 落ちる
愛を知らないで
ひとつまたひとつ
君の足跡には
枯葉が静かに降り積もる
Chợt
hồn xanh buốt
cho mình xót xa
不意に
魂 青ざめた 痛み ため 君 苦悩する
いてくれたならば
道に倒れて行く
苦しむ君を想い
不意に心が痛む
Chiều
này còn mưa
sao em không lại (the beginning of refrain)
午後
この まだ 雨 なぜ 君 ない 来る
私はいまも あなたのそばで
誰が誰が 雨を降らせたのよ
雨は今日も降るのに
君はなぜ戻らないのか
Nhớ mãi trong cơn
đau vùi,
寂しい
いつも 中 発作 痛み 覆う
いのちつづくまで
この空にいつまでも
心が痛む時
いつも君を想っている
làm sao có nhau hằn
lên nỗi đau, bước chân em xin về
mau
なぜ
分離不能 疼き 上 痛み 足跡 君 請う
戻る 早く
夢みてたのに
いつまでも
痛みと想いはなぜいつも一緒なのか
早く戻って来ておくれ
Mưa
vẫn
hay mưa
cho đời biển
động
雨降り続く
雨 ため 人生 波乱
いまは地のはてに
雨よ降るならば
雨は波乱の人生に降り続く
Làm sao em biết
bia đá không đau
なぜ
君 知る 墓標 痛みのない
愛を求めて
想い出ながすまで
墓標が痛みを知らないと
なぜ君にわかるのか
Xin hãy cho mưa qua miền
đất rộng
請う
させる 雨 上 地域 大地 広い
雨に誘われて
涙のように
雨よ
この広い大地に降っておくれ
Để
người phiêu lãng quên mình lãng du
(the end of the first chorus)
させる
人 流浪 犠牲にする 彷徨う
消えて行くあなた
これからも僕が彷徨い続けられるように
Ngày sau sỏi
đá cũng cần có nhau (the end of the second chorus)
後日
小石 同様 必要 分離不能
この大地にふれ
小石のように寄り添える日が
いつかきっと来る
以上GOOD
LUCKさんのブログからお借りしてきましたものです。
加藤登紀子さん、お登紀さんとベトナムの関係です。1960年代、戦場や学校で歌われてきた「美しい昔」が日本語に翻訳されて初めてお登紀さんは聞きました。歌手になって間もないころのことだそうです。心揺さぶるものがありました。
ご自身の経験とも重なる(旧満州からの引揚者)「時代の混乱に巻き込まれた人たちの、故郷への思いが痛いほどわかる」思いでした。
この「美しい昔」の作詞・作曲者はチン・コン・ソンさん、歌ったのはベトナムの「歌姫」ことカーン・リーさん。この二人への共感が芽生えました。
カーン・リーさんは夫を殺害され、ベトナムをボートピープルとして逃れました。アメリカへ逃れることができたカーン・リーさんは、1982年東京で開催されましたアジア音楽祭に来日し、お登紀さんと会い、共に歌うこととなったのでした。お登紀さんにとっては1歳下のカーン・リーさんはまるで妹のように思えたのでした。
そして15年後、短期間のベトナム滞在を許されたカーン・リーさんと東京で再会を果たすのでした。そこでの交流からチン・コン・ソンのことが話題となり、お登紀さんはむしょうに会いたくなってしまうものを感じてしまいます。97年春にお登紀さんは単身ベトナムを訪れます。ソンさんの自宅で朝にもかかわらずウィスキーで乾杯し、「美しい昔」を歌うのでした。ソンさんの心はどんなに和んだことでしょう。お返しに画家でもあるソンさんは、「あなたには赤が似合う」と似顔絵を描き始めたのでした。絵は、「ゆっくりと油絵に仕上げるから」と、暗に再会の時をにおわせながら、お登紀さんは帰国しました。
が、2001年ソンさんが亡くなってしまいます。飲まずには音楽も絵もやってられなかったソンさんです。「あの絵はどうなったんだろう。」
たまたま連絡をしてくれた日本人から「あなたと思われる肖像画がある」との情報が寄せられました。もう行くことはないだろうと思っていたお登紀さんに再びベトナムへの思いが募ってきたのでした。
お登紀さんとベトナムには2人の音楽家との心揺さぶる交流がありました。(参考資料は2007年4月10日朝日新聞、山本晴美さんの署名記事からでした。)
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